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日々と生活

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祖母はお花の先生だった。

日々はだんだん、曜日や時間の観念がなくなり

誰かの手助けが必要になってくるけれど

昔覚えた手仕事は忘れない。

 

彼女は学生の頃はお裁縫があまり好きではなかった。

近所に洋服のリペアをしているお宅があって

そこへ洋服を預けに行った時、作業をじっと見ているうちに

自分もやりたくなったと言う。

 

そこで子どもが大きくなった時、お裁縫を習う事にした。

ウェディングドレスを手縫いで縫おうと思って

日々こつこつと作業を進めた。

 

彼女の手はそれから様々な物を生み出した。

洋服の型紙はデパートの包装紙の裏に手書きで引いて、

ジャケットやブラウス、スカートやワンピース

何着もの洋服を作った。

その時までひっそりと大事にされてきたセンスが

洋服という手段を通して表に出てきたのだった。

 

お花も、お茶も、洋服も、そして日々の何でもない作業ひとつ、

彼女はとても静かにあっという間にこなすのだった。

 

そして今

手仕事の多くはこなすことが難しくなったけれど

お花を持って行くといきいきとして

これはなんの種類かしら、これはダリアね、

花瓶に生けてからバランスを見るといいわよ、

さりげないけれど確かな感性が出てくる。

 

その1本はもう少し短く切るといいと思いますよ、

言葉は押しつけがましくなく、あくまでもアドバイスだ。

長年大切に使われてきた花切り鋏を

引き出しから大切に出し手渡す。

 

一人の母として子どもを育て上げ、両親を見送り、

彼女はずっとしゃんとしてきた。

時々出る冗談には知性が感じられ、みんな笑顔になった。

 

年を取るということは

必然的にできない事が増えていく。

膝が痛くなり、長時間出掛けるのがつらくなり、行けない範囲が広くなる。

 

介護の勉強をしていた時思ったのは、

できなくなる事を数えるのではなく、その人にとって何が楽しいことか、

何が興味があるのかを考える方がお互いにずっと良いという事だった。

 

あれができない、これができなくなる、

遅い早いはあるけれど、人はみんな失っていく。

それならば何に感情を動かされるか、何なら大切に思えるかを

一緒に探した方が明るい。

 

祖父が亡くなった月に思う。

 

 

 

 

 

 

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少し疲れているくらいだと

別になんでもなくて

すごく疲れている時は

気付かない時が多い。

 

そしてあるタイミングで

突然なだれのように

自分の上にのしかかってくる。

 

悪い方へと引っ張ろうとするのは他人ではない。

周りの人の行動や言葉にネガティブな方に引っ張られる時はあるけれど、

なんでもだめな方へ追いやろうとするのはいつでも自分だ。

 

ちゃんとしなきゃ、を思えば常に思っていた。

ちゃんとって何なのだろう。

 

おいで、ごはんを食べに行こう。

びっくりする位安いけれどおいしい中華屋へ夕ご飯を食べに行った。

ビールも飲まず、ジョッキにウーロン茶を入れてもらって

がまんせず食べた。

そんな簡単な、全然簡単ではないことをやって

体が戻ってくるのを感じた。

 

おいで、大丈夫だよ。

きっと大人でもそう言ってもらいたいに違いない。

 

18:58は日が沈む時に

空が紫と橙の境目になるマジックアワーだ。

新宿の雑踏の中、歩きながら

足元をすくわれないように人の間をすりぬけながら

レコード屋へ明確に欲しいと思った

夏の音を探しに行った。

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生きるということは

生み出すことと失うことを同時にしていて

ふと止まって振り返った時に何も進んでいないような気がして

何も生み出していないのではないかと思ってしまう時がある。

 

振り返った先は真っ暗で

映画のように自分にだけピンスポットが当たっている。

そんなイメージが思い浮かぶと

暗い底に足をつかまれ引っ張られるような気になる。

 

今まではそうなると、どうしていいのかわからずに

後ろを振り返ったまま足がすくんでいたけれど

最近は後ろを見た後、ゆっくりと元のように

視線を前に移して何もなかったかのように歩くことができるようになった。

 

悟ったのだった。

こうしている間にも失っているのだ。

失いたくない。過去ではなく、

今からまた自分として生きていく。

ここまでやってきてくれた自分に感謝している。

ハグをして健闘を讃えて肩を組んで歩いていく。

 

 

 

 

 

2000

なんでもない話をしながら

やっぱり一人旅に出てつまらないと思うのは

ごはんを食べる時だねと話す。


あの時はとてもおいしいと思ったのに

一人で行った時はそんなでもなかったよ。


スカロップをお代わりした

ヨーロッパの街角の夜のレストランを思い出す。


ビールで乾杯して、デカンタサングリアへ移って

何杯も何杯も乾杯した。

朝起きた時のコーヒー以外は

昼も街中でも夜も寝る前も

カフェやレストランで乾杯をした。


記憶の中の一緒に行った旅は

2000年が初めてで、

アジアの空港で落ち合った時の

それまでの緊張を吹き飛ばすような笑顔を

今でも鮮やかに思い出す。


そして日本、

飲み屋街の端っこで

その時の旅を振り返っている。

まじまじと横顔を見つめ

15年経ても

この人はなにも変わらない。


たまに吸う煙草ははるかに板につき、

煙をまとった髪の毛すら愛おしいと思う。


この先にどんな未来があろうとも

おいしい食事をおいしいと言えるために

一緒に旅に出よう。






201208

イヤホンで音楽を浴びながら

明日の仕事の手順を頭で追いながら

あなたと話をしている。

 

あんなに遠かったのに

距離は近くにいるけれど

遠いままでいたい。

 

近づきたいけれど

自分が求める場所に上るまでは

まだ

先を求めたくないのだ。

 

東京駅を歩きながら

この界隈が好きで、近付きたくてここに立っていると自覚している。

ビジネスマンと観光客の行き交うこの街で

どこまで行けるか楽しみに

前を向き、背筋を意識して伸ばし

自分のために

歩いている。