SunaSet

日々と生活

201208

イヤホンで音楽を浴びながら

明日の仕事の手順を頭で追いながら

あなたと話をしている。

 

あんなに遠かったのに

距離は近くにいるけれど

遠いままでいたい。

 

近づきたいけれど

自分が求める場所に上るまでは

まだ

先を求めたくないのだ。

 

東京駅を歩きながら

この界隈が好きで、近付きたくてここに立っていると自覚している。

ビジネスマンと観光客の行き交うこの街で

どこまで行けるか楽しみに

前を向き、背筋を意識して伸ばし

自分のために

歩いている。

 

50%

御成門に用事があり晴天のゴールデンウィーク2日目、

地下鉄を乗り継ぎ街へ繰り出した。

文句なしの夏日のお昼過ぎ、お日様はさんさん、木々は青々として

道に色が溢れている。

 

新橋から有楽町へ抜ける途中

銀座はアジアからの観光客がひっきりなしに大型バスから降りては

大声で話しながら目抜き通りを歩いていく。

今年で創業105年というコーヒー屋の窓側の席で

ゆっくりとなんでもない話をしながら

人々が悠々と歩くのを眺めている。

 

銀座から有楽町へ靴を買いに行こうと話していると

洋服なんて買う気もないのにゴールデンウィークセールと銘打って

全商品50パーセントオフの表示が出ているのにつられ

アパレルショップへと足が赴く。

 

洋服はすっかり半袖だ。

羽織ものとシャツしか長袖はない。もう夏なのだ。

通路を埋める人と人の間をすり抜けながら

気付いたら真剣に白いTシャツを選んでいた。

肩幅に合うサイズはどれかを見てもらいながら

背すじが丸くなっているのに気付いてピンとした。

 

有楽町で靴を履き比べながら

買い物をする人はみんな意気揚々としているなと思った。

いい。明るくて高揚していて、楽しげでとてもいい。

 

時には買い物をしよう。

ちゃんと仕事をして、ちゃんとやり切ったと感じて

ちゃんと旬の物を見よう。

と意識を新たにした。

 

 

3103

健啖家という言葉を思い出す。

大食漢って言うよりもよっぽどいい響き。

 

沢山料理を仕込んだ。

根菜とささみのトマト煮込み、じゃことピーマンの炒め物

明日はセロリをピクルスにする。

何よりも体が資本だ。

 

体を動かすのは食事で

心を動かすのは

恋愛だと確信した。

 

 

 

 

36

体ががちがちになっていた。

体ががちがちになっているということは心もがちがちなのであって

そういう時は自分で気付かないのが一番怖い。

 

食事を摂らない36時間、最近おろそかにしていた物が見えはじめた。

まず植物は春へときちんと向かっているということ。

モクレンのつぼみはいつの間にか冬のすずめ位にふくふくになっていて

梅はもうほころんでいる。

そしてにおいに敏感になるということ。

おなかがすくようなにおい、電車で座る隣の人のコートのにおい、

干したばかりの掛けぶとんのにおい、

好きなものもそんなに好きでないものもそのにおいを形にして現せるほど

においがはっきり鮮明になる。

極めつけは歩く時の感覚だ。

なにも気にしていない元気な時は、かかとで着地しかかとからつま先へと

体重を移動しもう片方の足でかかとから着地しと繰り返すその動作が

たった36時間じっとしていただけでできなくなっている。

慎重にかかと、つま先、かかと、つま先と考えながらゆっくり歩く。

何か順番を間違えないか不安になるのだ。

 

世界のスピードは速いのに驚くほど動作も頭の動きもにぶくなり

周りが早回りの映像を流しているかのように映る。

それでも急ぐことができないからゆっくりと行く。

みんなが急ぎ足の中を一人半分のBPMで歩く。

 

たった1日で何気ない生活から寝てばかりになって

夜か朝か分からない時にふと目覚めて思った。

ああ、今切羽詰まっていたのだ。

そんなに切羽詰まらなくていいのに。

 

動かない岩を一人で押してもてこでも動かない、

そういう類の出来事を動かそうとしていた。

そのうち来る助けを待ったり、重機を導入するのを検討するのではなく

ただひたすら力でどうにかしようとしていた。

 

あまりにも寝ていると頭が痛くなり、りんごを食べた。

仕事のメールを開き緊急のものだけ返した。

集中していると痛みはひく。これも発見だった。

 

家族は心配してメールをくれ、この年になっても

心配を掛けるのが申し訳なくて時間をかけて一通一通返事をした。

そうしているうちにあんまりにもメールやSNSで連絡が行き交いすぎて

なんとなく使っている言葉が増えているのに気付いた。

「ご自愛ください」「宜しくお願いします」など、

気にしたらきりがないかもしれないけれどちゃんと言葉の重みを思い出して

使っていないことがよくわかった。

その言葉に込める重みをていねいに扱っていなかった。

 

大げさだし不謹慎だけど

記憶喪失から一つのきっかけで少しずつ記憶が戻るみたいに

本当は知っていたもの、ことを

少しずつ思い出している。

目をつむり、音を感じ、人の暖かさを受け取り、外気を触り、

そうやって向き合っている。