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SunaSet

数字と生活

36

体ががちがちになっていた。

体ががちがちになっているということは心もがちがちなのであって

そういう時は自分で気付かないのが一番怖い。

 

食事を摂らない36時間、最近おろそかにしていた物が見えはじめた。

まず植物は春へときちんと向かっているということ。

モクレンのつぼみはいつの間にか冬のすずめ位にふくふくになっていて

梅はもうほころんでいる。

そしてにおいに敏感になるということ。

おなかがすくようなにおい、電車で座る隣の人のコートのにおい、

干したばかりの掛けぶとんのにおい、

好きなものもそんなに好きでないものもそのにおいを形にして現せるほど

においがはっきり鮮明になる。

極めつけは歩く時の感覚だ。

なにも気にしていない元気な時は、かかとで着地しかかとからつま先へと

体重を移動しもう片方の足でかかとから着地しと繰り返すその動作が

たった36時間じっとしていただけでできなくなっている。

慎重にかかと、つま先、かかと、つま先と考えながらゆっくり歩く。

何か順番を間違えないか不安になるのだ。

 

世界のスピードは速いのに驚くほど動作も頭の動きもにぶくなり

周りが早回りの映像を流しているかのように映る。

それでも急ぐことができないからゆっくりと行く。

みんなが急ぎ足の中を一人半分のBPMで歩く。

 

たった1日で何気ない生活から寝てばかりになって

夜か朝か分からない時にふと目覚めて思った。

ああ、今切羽詰まっていたのだ。

そんなに切羽詰まらなくていいのに。

 

動かない岩を一人で押してもてこでも動かない、

そういう類の出来事を動かそうとしていた。

そのうち来る助けを待ったり、重機を導入するのを検討するのではなく

ただひたすら力でどうにかしようとしていた。

 

あまりにも寝ていると頭が痛くなり、りんごを食べた。

仕事のメールを開き緊急のものだけ返した。

集中していると痛みはひく。これも発見だった。

 

家族は心配してメールをくれ、この年になっても

心配を掛けるのが申し訳なくて時間をかけて一通一通返事をした。

そうしているうちにあんまりにもメールやSNSで連絡が行き交いすぎて

なんとなく使っている言葉が増えているのに気付いた。

「ご自愛ください」「宜しくお願いします」など、

気にしたらきりがないかもしれないけれどちゃんと言葉の重みを思い出して

使っていないことがよくわかった。

その言葉に込める重みをていねいに扱っていなかった。

 

大げさだし不謹慎だけど

記憶喪失から一つのきっかけで少しずつ記憶が戻るみたいに

本当は知っていたもの、ことを

少しずつ思い出している。

目をつむり、音を感じ、人の暖かさを受け取り、外気を触り、

そうやって向き合っている。